第五十一番札所 石手寺(いしてじ)
第五十一番札所 石手寺(いしてじ) HP
ご本尊 薬師如来
ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌 西方を よそとは見まじあんようの 寺にまいりて受くる十楽
略縁起
近郊は道後温泉が近く観光地として賑わい、参道には出店が並ぶ。四国霊場でも随一の寺宝・文化財を有する名刹と言われる。お遍路創始者である衛門(えもん)三郎が生まれ変わったといわれる河野息方(やすかた)が、このお寺ではじめて左の手を開き、握っていた石を落としたといわれ、この伝説によってお寺の名前を石手寺に改められたといわれています。
石手寺の境内は曼荼羅に作られ三重塔を中心に右回り、左回りしながら、お参りをすると自然と心が和み、本来の優しく、温かい心が全身によみがえってくるという。
門前回廊 絵馬堂になっている回廊である
石手寺山門 仁王門の左右に立っている阿・吽の仁王像は2・5mの大きさを誇っている。2重屋根入母屋造り本瓦ぶきの重層で国宝。大きな藁草履の奉納が在る。
両脇に大黒様がいらっしゃる
石手寺本堂
石手寺大師堂 別名、落書き堂:漱石や子規が落書きを残したものの戦時中に壁を塗り替えた為消失したらしい
石手寺大師像 金色に輝く大師像
山門前の大師像
境内の大師像
石手寺鐘楼 四方に腰袴がついていて全国でも珍しいそうで重要文化財
三重の塔 鎌倉末期建立の三重塔は重要文化財、本瓦葺き屋根の和様の高さ22m88cmの建造物
絵馬堂 天井から手鞠が吊り下がっている。絵馬堂には、中央に観音様、そして、日光菩薩、月光菩薩、薬師如来十二神将が見事に描かれている
「訶梨帝母天堂」(かりていぼてんどう) 子供を守る「鬼子母神」が祀られており、安産祈願の信仰を集めている。妊婦は堂の前の石を持ち帰り無事に生まれたら、石を2つにして返す
護摩堂
洞窟・都卒天洞(とそつてんどう) 四国八十八ヶ所霊場と四十九修行場が設けられている
衛門三郎の石像 衛門三郎の石像は、渡らずの橋に建つ大師さまと向き合っている。
伝説
上浮穴郡荏原の強欲な長者・衛門三郎は、托鉢をしていた弘法大師に対して心無い振る舞いをし、その後8人の男児を失う。改心した三郎は、大師を求めて霊場巡礼にでるものの大師に会えぬまま21回目の巡礼で徳島・焼山寺で倒れた。
その枕元に大師が現れ、彼の手に「衛門三郎」と記した石を握らせたところ、三郎は安して息を引き取った。その後、この地の領主・河野氏に嫡男が誕生したが、赤ん坊は何故か手を開かない。安養寺に願を掛けたところ男児は手を開き「衛門三郎」ち記した石が出てきた。
その石は寺に納められ、この時より名は石手寺となったそうな。)
50番~繁多寺 ⇔ 52番~太山寺
2007-04-21
ご本尊 薬師如来
ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌 西方を よそとは見まじあんようの 寺にまいりて受くる十楽
略縁起
近郊は道後温泉が近く観光地として賑わい、参道には出店が並ぶ。四国霊場でも随一の寺宝・文化財を有する名刹と言われる。お遍路創始者である衛門(えもん)三郎が生まれ変わったといわれる河野息方(やすかた)が、このお寺ではじめて左の手を開き、握っていた石を落としたといわれ、この伝説によってお寺の名前を石手寺に改められたといわれています。
石手寺の境内は曼荼羅に作られ三重塔を中心に右回り、左回りしながら、お参りをすると自然と心が和み、本来の優しく、温かい心が全身によみがえってくるという。
門前回廊 絵馬堂になっている回廊である
石手寺山門 仁王門の左右に立っている阿・吽の仁王像は2・5mの大きさを誇っている。2重屋根入母屋造り本瓦ぶきの重層で国宝。大きな藁草履の奉納が在る。
両脇に大黒様がいらっしゃる
石手寺本堂
石手寺大師堂 別名、落書き堂:漱石や子規が落書きを残したものの戦時中に壁を塗り替えた為消失したらしい
石手寺大師像 金色に輝く大師像
山門前の大師像
境内の大師像
石手寺鐘楼 四方に腰袴がついていて全国でも珍しいそうで重要文化財
三重の塔 鎌倉末期建立の三重塔は重要文化財、本瓦葺き屋根の和様の高さ22m88cmの建造物
絵馬堂 天井から手鞠が吊り下がっている。絵馬堂には、中央に観音様、そして、日光菩薩、月光菩薩、薬師如来十二神将が見事に描かれている
「訶梨帝母天堂」(かりていぼてんどう) 子供を守る「鬼子母神」が祀られており、安産祈願の信仰を集めている。妊婦は堂の前の石を持ち帰り無事に生まれたら、石を2つにして返す
護摩堂
洞窟・都卒天洞(とそつてんどう) 四国八十八ヶ所霊場と四十九修行場が設けられている
衛門三郎の石像 衛門三郎の石像は、渡らずの橋に建つ大師さまと向き合っている。
伝説
上浮穴郡荏原の強欲な長者・衛門三郎は、托鉢をしていた弘法大師に対して心無い振る舞いをし、その後8人の男児を失う。改心した三郎は、大師を求めて霊場巡礼にでるものの大師に会えぬまま21回目の巡礼で徳島・焼山寺で倒れた。
その枕元に大師が現れ、彼の手に「衛門三郎」と記した石を握らせたところ、三郎は安して息を引き取った。その後、この地の領主・河野氏に嫡男が誕生したが、赤ん坊は何故か手を開かない。安養寺に願を掛けたところ男児は手を開き「衛門三郎」ち記した石が出てきた。
その石は寺に納められ、この時より名は石手寺となったそうな。)
50番~繁多寺 ⇔ 52番~太山寺
2007-04-21
by 7777k1 | 2008-07-07 00:08 | 51番~石手寺